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あんなぷるな道中膝栗毛

3.砕石 <目次に戻る

 カトマンドゥからポカラへは、ローカルバスも出ているのだが、
ツーリストバス(直行便)も出ている。
朝7時頃カトマンドゥを発ち、午後2時頃にポカラへ着くのである。
私達は「早くて安全!」と言うホテルマンの言葉を信じ、
ツーリストバスで出発する事に決めた。
距離にして200km日本の高速なら2時間程の距離なのだが、
道路事情の良くないネパールでは、これでも追い越しに次ぐ追い越しで、
やっとのこの時間に着くのである。

 出発当日私は、バスに乗り込むと一番後ろの隅に陣取ったのだが、
山本氏は「後ろは揺れるから」と中程の席についた.
隣りには、後からインド人が座った。
やはりインド人同志?気が合うらしい。

 余談ではあるが、この山本氏は生まれも育ちも日本なのだが、
生粋のインド人なのである。
(少なくとも私はそう思っている。)

 彼は20年前に沖縄を出発し、台湾等を経由しインドで一文無しに
なり乍らもヨーロッパ迄数年をかけて旅した武勇伝の持ち主でもある。
そのせいかどうかは分からないが彼を見ていると、インド人とは
こういう人種ではないだろうかと、想像してしまうのである。
ネパール人とインド人は仲があまり良くない様なので、インド人
同志席を同じくした事は、“ごく自然の成り行き”と、言えるのだ。

 話しは大分横道にそれてしまったが、バタバタしながらもバスは
予定通りポカラへと出発した。
動き出してすぐに気づいたのだがこのバスブレーキを踏む度に、
「キィキィー」と言う大音響を発するのである。
良く見ると私の所の窓もガラスが割れて、ダンボールが貼ってある。
良く良く見ると、そんな窓が前に幾つもあった。
このバスのチケットを取ってくれたホテルでは

 「バスも立派で御機嫌だ!」

と言っていた、
確かにローカルバスからから見れば程度は良い様だが、このブレーキ音
には閉口した。

 カトマンドゥの街を出ても、延々と近隣の町並が続くのであるが、
朝早いせいか家の前で顔を洗ったり歯を磨いたりしている人をよく
見かけた。

 この光景を見ていて、フッと思い出した事がある。
僕が学生の頃の映画だったと記憶するが、山本周五郎原作、
黒澤明監督の“どですかでん”と言う映画なのだ。
確か東京の夢の島あたりが舞台になっている様な映画だった。
(もっとも終戦を体験した監督の世界でもあったとは思うが)
カトマンドゥを出てから連なる街の光景が、あの映画を連想させる
のだ。

 下水も無く、唯一杯の水を汲んで来て、道端で歯を磨いている。
考えて見ればカトマンドゥは、ネパールの都会であの喧騒は特別な
場所なのである。
そこを一歩離れた所に世間の生活があるのだと思う。
インフラ工事が地方に迄波及するにはまだ大分時間を要する様である。
そんな事を思っているうちに、街並みも過ぎ、峠を越えバスは
田園地帯へと進んで行く。

 ネパールの水田は土地柄山に作る棚田が目を引く、
棚田と言っても日本の千枚田等とは比べるべくも無く、もの物凄い
棚田なのだ。
1000m、2000mと山の上迄続いている。
それはバスから見ていても良く分かる。
紅い山肌に横に幾筋も幾筋も緑の筋が、棚田として連なっている
のである。
本当に長い年月をかけて少しづつ少しづつ開墾した事が偲ばれる。

 そして全て手仕事なので(水牛は使っている様です。)あまり
大きな石は、田んぼの中程に、ポツポツと置き去られていたりする。
何だかそんな事が、こちら迄ノンビリした気分にさせてくれる
のである。

 又バスは途中峠を過ぎたあたりから河原伝いに進むのだが、
道路脇に幾つもの砂利の山が作ってある。
よく見ると皆道路の脇で石を一つ一つ砕いてまさしく砕石を
作っているのだ。
よくよく見るとその小さな砂利の山は河原でも、あちらこちらで
作られていた。
中には波トタンで雨よけの場所もあり、それは、

 「出稼ぎに来ているのではないか?」

と山本氏は言う。
そんな砂利の山を1台のダンプカーが、拾い集めていた。
一つ割って幾らになるか分からないが、小さな少女から年寄りまで
一家全員が、爆走するバスやトラックが通る道端で、毎日毎日一つ一つ
金鎚ちで割り続けていると思うと、そして又あの棚田を、山の上迄恐らく
何千年もかけて作ったかと思うと、何か悠久の時を感じてしまう。

 このコツコツがこの国を築き上げた事を実感した。

 それとは相反する様に、必死の追い抜きとクラクション、
相変わらず「キィキィー」と言う大音響のブレーキ音を奏で乍ら、
バスは一路ポカラへと、爆走するのであった。

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