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あんなぷるな道中膝栗毛

10. 火傷(やけど)の一夜(バンブー) <目次に戻る

 宿を出発してからは、一気に下る。
下りきった所にある沢を渡ると、今度は一気に登り返す。
振り返るとチョムロンが崖の上にある村だという事が良く分かる。
我々が泊まった宿も例外ではない。
何だか大雨が降ると、集落全体が滑り落ちてしまうのではないか?
ちょっと怖いが、そんな事を思わせる程、急峻な所に立って
いるのである。

 そんな事を思い乍ら登っていると、上から少年が2人、
薪を山の様に担いで下りて来た。
日本で言えば小学5〜6年と言った少年が、私の前迄来て、
ピタリと停まり、一人の少年が黙って片手を差し出す。
見ると親指のつけ根が、パックリと開いている。
鎌で切ったものか?まだ最近のキズである。
私はザックから速やかに薬を出して、彼の傷口に塗ってやり、
その場を立ち去った。
と、言うのもすぐ後ろに20人程の日本人団体トレッカーが、
迫っていたのである。
彼等は少年が下りて来ると、すぐにお金を握らせ、全員で
写真を撮っている。

 我々は先を急ぐ事にした。
 どうも人がいっぱいと、言うのは苦手である。

 暫く行くと数軒の民家の脇を通るのだが、大声で話している
ネパール人が、中野氏を見て、

 「おまえは前にここに来ている!」

と言う、中野氏も彼を見て、

 「前に一度会っているかも知れない」

と言うが彼は、

 「お前には何度も会っているんだ」

中野氏も

 「そうかも知れない」

と苦笑い、有名人はつらい。

 途中、最後の民家(後で分かったのだが)の 前に“チョータラ”
があったので、一休みする。
チョータラは日本語で言えば一里塚で石が二段に積んであり、
ヒモ一本で荷物を運ぶこの国の人々が、
足元迄荷を降ろさなくても良いように工夫されている。
日本で言う“一本入れる”場所なのである。(注1)

 そして起伏の激しいこちらでは、数百mに一個所は必ずこの
チョータラを作ってあるのだ。

 少し前迄は茶屋として、やっていた様だが今は、老婆と3〜4才の
女の子だけが見える。
私達が珍しいのか、そばを離れない。

同行の中野氏が写真を一枚撮った。
お礼にビスケットを一枚、家の中に居るお婆さんにと、中野氏は
残りのビスケットも少女に持たせた。
和やかな時間を過ごした後、少女に別れを告げ先へと進む。

 途中少し暗くなった森の中で突然道が無くなった。
仕方なく引き返す事にする。
戻る途中、例のあの日本人団体さんに会った。
彼等も道を間違えた様だ。
ネパールのガイドも分からなかったのだ。
こちらではない事を告げ、一緒に引き返した。

 ネパールでは、土砂崩れ等でよく道が変わったりすると言う。
その為新しい道を作るのだが、山の中なので工事の看板等は
もちろん無く、石を一つ矢印代わりに向きを変えて、置いてあったり
するのだが余程注意していないと、ガイドでも見落としてしまうのだ。
引率の日本人に随分と、小言を言われていた様だったが、
これはいた仕方の無い様に思えた。

 それでも何とか道を見つけ、今度は坂を下って行くと、降りた所が
今日の目的地“バンブー”だった。
団体さんは二つ先の宿泊地“ヒマラヤホテル”迄行くと言う。
結構ハードスケジュールの様だ。(我々が遅過ぎるのも事実だが)

 バンブーホテル(その昔登山隊がこの竹林で幕営した為、
この名がついたと言う)には、現在6〜7軒の宿があるのだが、
2000年の一月一日は、一軒の宿しか営業していなかった。
ここでは、下山する客、登山する客、両方の客が利用するので、
宿は結構満杯だった。韓国の若い女性二人と同室だったが
ありがたい事に、何とか一室をキープすることが出来た。

 夕刻にはすぐ上で幕営している白人の団体が、大挙して追しかけた。
皆口々に

「シャワー」

と要求する。
白人は山の上でもあたり前の様にシャワーを要求する。
あの神経には恐れ入る。

 そんな訳で居間兼食堂は、人でごった返していた。
それでも灯油缶一杯のお湯が、お金になるので、宿の主人は
大忙しである。
良く見ると、山本がいない。

 食堂が混んで落ちつかないので、表へ出て見た。
宿の裏手にはポーターハウス(荷を担ぐ人が休んだりする所)
があり、その中でセッセとシャワー用のお湯を沸かすのだが、
チャッかり山本がその役をやっている。
乳呑み児を、負ぶった奥さんと主人だけでは夕食の支度だけでも
大変である。
こうやってお湯を沸かす人間がいるだけで、助かると思う。
宿の主人も


 「ガンガン炊いて沸かしてくれ!」

と言う。
私が入り、中野氏も来て、一人旅の日本人 通称“F”君も参加して、
焚火の前の特等席は、日本人で貸し切りと、なってしまった。
久々の焚火を見乍らの宴会で、つい盛り上がってしまい、
夜遅く迄騒いだ様である。
2000年の元旦は、こうして更けていった。

 翌朝トイレの帰りに手を見ると、茶色に汚れている。
急いで、もう一度手を洗うが変わらない。
よく見ると、手が焦げているのである。
昨晩焚火の前で、盛り上がって?手が焦げているのが、
気附かなかった様だ。
昨夜の記憶が、途中から無いのだ。
山本氏に

 「即興で歌は歌い続けるし、大変だった!」

と、惨々小言を言われた。
そう言えば、ポケットビンではあるが、ラムやウオッカの瓶が、
6〜7本は空いていた。
新年早々お恥しい限りである。

 今年が思いやられます。    反省


(注1)日本の山岳地帯では、重い荷物を降ろさなくていい様に、
    背負子の下に杖を入れて
    立ったまま休む。
    その為休憩する事を「一本入れる」と言う。

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