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あんなぷるな道中膝栗毛

19.インド風の中登場したシェルパシティマカル
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 カリガンダキ河も大分溯上したので、次第に風景が変わり、
ダウラギリを横目に見ながら進む。
河原もカロパニを過ぎたあたりから、広河原となる。
この広河原は、スケールがとても大きく、1000mはあろう河原の
幅もさる事乍ら、この先数日間はずっと、広河原を歩く事になった。

 この広河原では、陽が登って少し過つと、決まって下流から、
強烈な風が吹きつける。
インド方面から吹くこの風を、土地の人は“インド風”“と言って
いる。
この風は一年中吹くそうである。
私達は北上しているので、追い風となり助かったが、上流から
来る人にとっては、砂埃りと一緒に、目を開けていられない様な、
風の洗礼を受ける事になる。

 2000年の1月13日、我々はこの河原を歩いていたのだが、
この日は生憎途中から雨、その後みぞれになり、そして雪へと
変わっていった。

 広河原は全て石の為、ルートに注意する。
足跡が分からないのだ。
ゆっくりと目を凝らすと、遥か彼方にゴマ粒程の人やロバを
見つける事が、出来る。

 広河原に斜めに吹きつける雪は、緑色にピンと立った針葉樹を
バックに、白いレースのカーテンの様で、とても美しかった。
今日も氷河を抱えたダウラギリが上部を隠し、一段と大きさを
感じさせる。
強風と吹雪は、我々を良いピッチで歩かせてくれた。

 このあたりの河原では、アンモナイトの化石が、拾えると言う。
その昔、南極大陸から別れたインドが、海を北上し、アジアと衝突、
ぶつかって盛り上がった所が、ヒマラヤ山脈だと言うのだ。
その為、以前海だったこのあたりでは、アンモナイトや貝等の
化石が見つかると言う。
私達は、吹雪かれ乍らも、化石を探し乍ら歩いていた。

 山本氏は随分後ろを歩いている。

後で聞いたのだが、ずっと下を向いて化石を探していた山本氏は、
河原に酔って大変だったそうである。
しかし、歩いていて自分自身が酔うと言うのは、初めて聞いた。
尤も360°何処を見ても石コロだらけの場所ではあるのだが・・・

 それでも黙々と、化石を探し乍ら歩いていると、いつの間にか
10才位の男の子が立っている。
彼に拾った石を見せると、

 「ツァイナ!(入っていない)」

と言って捨ててしまう。
その後、何度も見せたが、全部捨てられてしまった。
途中、丸太橋(と言っても本当にただの丸太)が、所々に
架かっている。

 落ちない様に、手を差し延べると、小さく冷たい手で、私の手を
握って来る。
その少年を抱き寄せると、彼の背中は既に、グッショリと濡れていた。
それもその筈、防水加工の施されていないアノラック
(私も少年の頃着ていた)で、一日中吹雪かれていたのだ。
トゥクチェに着いたら、温かいお茶とパンでも御馳走しようと
思っていたのだが、集落についたら見失ってしまった。

 その後、彼とは二度と、会う事は無かった。
シェルパシティマカルと名乗り半日ガイドをしてくれた彼の横顔は、
幼い乍らもしっかりと年輪を刻んだ、いい顔をしていたのが偲ばれる。

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