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あんなぷるな道中膝栗毛

41. その後のネパール <目次に戻る

 我々が帰国した翌年(2001年)ネパールでは大事件が起きた。
6月1日の王族晩餐会にてディペンドラ王子が、、親である国王
王妃を含め8人を射殺その後自殺を図り9人の命が亡くなったと
いうのだ。

 晩餐会には弟ギャネンドラ氏だけ何故か出席していず、出席して
いた彼の家族も無事だった。他にも不可解な事は沢山あるのだが、
全てが数日のうちに、非公開の儘密葬された為、真相究明は難
しい様だ。

 当時のネパールは、デモクラシー(民主政治)になってまだ日
が浅かったのだが、その民主化に反対していたのがギャネンドラ
だった。彼が国王に即位してからは、“マオイスト”と呼ばれる
毛沢東主義派が、“人民解放軍”と称して、地方を中心に武力制圧
を始めた。
この共産主義によるクーデターにより、ネパールには嵐が吹き荒
れ、多くの国民が犠牲となるのである。

 2005年運良くネパールを再訪する機会を得たが、出発当日(2月
1日)、ストライキの決行を予定していた“毛派”に対し、国王が
真向対決の意思を表明した。
成田空港では情報が錯綜し、結局当日カトマンドゥ空港は閉鎖
された。私はトランジット(乗り継ぎ)で、バンコクに一泊した
ので、翌日入国出来たが、客の殆んどは“プレス”(記者)という
状況だった。
この年は“エベレスト街道”を一人で旅するのだが、客は殆ど
いず、三週間のトレッキング中、宿には客は私だけという日が続い
た。

 2006年には、大規模な民主化運動が起こり国王の政治特権は全て
 剥奪された。
 2008年には王制が廃止されギャレンドラは退位する。

 現在ネパール新政府では、主義主張が相容れない状態で、政党が
乱立している為、王制廃止後も、政情不安は続いている様だ。

 この民主化の波は、女性解放問題や、カースト制度も含め、政治
だけでなく、ネパールが避けて通れない道の様である。
願わくば多くの血を流さず、良き方向へと思うのである。

 たった十数年の事だが、私が最初に訪れた時とは、遥かに違う世界
になっている様である。もっとも私が過した短い滞在期間で、私の
知っている事等、ほんの僅かなのだが・・・・・

 それでも素晴らしい土地と、素朴で温かい人々に、早く気の休める
 心豊かな国に成る事を、願うばかりである。

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