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あんなぷるな道中膝栗毛

42.あとがき
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 1999年、当時私は絵を描き出してまだ一年、地元の新聞社のホールで、
初めての展覧会を開いて間もない頃だったと思う。
それ迄、オリジナルテントや民俗天幕を作っていた私が、突然絵に
転向してしまったので、案内状を出しても、私と解らない友人が何人
もいるという状態だった。
私自身が不思議なのだから仕方が無い。

 そんな頃、山本氏のネパール行きが決まったのである。

 私は若い頃、山を登り乍ら日本を旅していた時代があり、カメラも
持てない貧乏旅行を続けていた。そんな旅で出会った素晴らしい光景
を絵にした展覧会でもあった。
それを見ていた山本氏が、

 「これからも山を描くのなら、ヒマラヤを一度は見ておいた方がいい。
  旅費は俺が出す。一緒にネパールへ行こう!」

と、誘ってくれたのである。
山本氏が数年間ホテルマンとして、稼いだ大切なお金である。
随分と考えさせられたが、私を応援してくれての事と思い、有難く
厚意を受ける事にした。兎にも角にも彼の厚意でネパール行きは
実現するのである。

 現在(2014年)15年近く過ってしまった事と、私のつたない文章では、
多くの事を伝える事は出来なかったと思いますが、この国のあたたかさは、
美しきヒマラヤの峰々を無くしては、語れない事に思えます。

 経済という視点の前にある、人としての価値観、素朴な豊さ、又優しさ、
 のんびりさ加減等も含めて少しでも感じて貰えたらと思います。


 最後にこの旅を企画してくれた  山本光詩氏
 この文章を掲載してくれた    宮地完行氏

 両氏に 心から御礼申し上げます

         佐々木 修

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