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旅の空の下で

2.ヒマラヤの笛の音
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  2005年の2月、私はヒマラヤの山道を
独りテクテクと歩いていた。
エベレストを望むカラパタール(5545m)や、
ゴーキョピーク(5357m)等を登り終え、
三週間のヒマラヤトレッキングも終盤を迎えていた。

 その日は谷底にあるポルツェタンガという集落
(とは言っても一軒宿)を出発して
モン・ラと言う4000m程の峠を越えて、
ナムチェバザールを、目指していた。
 途中、ナムチェへ向かうルートの上に斜めに、
稜線をトラバースする道の分岐点があった。
別段急ぐ旅でも無し、気楽な一人旅なのだ。
私は何やら、少しずつ上へと尾根をトラバース(横切る)する、
そのコースに興味を憶え(又私の知らない桃源郷へ
連れて行ってくれる様な気がしたのだ)行ってみる事にした。

 足元のイムジャコーラ(川)が随分と小さく見える頃、
道は尾根の裏側へと回り込んだ。
そこはかなり大きな岩壁で、一気に落ち込んでいた。
その岩壁は右へ左へと上手に足場を作り、
一気に下る様になっている。
 それ迄は、ヤク(ヒマラヤ高地の毛の長い牛)や
ゾッキョ(ヤクと水牛のハーフ)の足跡が、
殆どどんな所でもあったのだが、さすがに
ここには無く、人だけが通れる道の様である。

 私は数十mに及ぶその岩陵帯を、慎重に下って行った。
 中程迄下った頃、
下から角材を七本程背負った若者が登って来た。
長い物は、4m程もある様だ。
彼はその角材が、岩壁に当らないように、
右往左往している。
 私も彼の動きに合わせ、右へ左へと移動する。
何せ人一人が漸く通れる程度なのだ。
 何とか擦れ違う事が出来た。
彼は無言の儘、私を無視した形で、登って行ったのだが、
これはいた仕方の無い事である。
 それは相当重い(50kgは遥かに越えると思われる)角材を、
頭一つで支え、垂直に近い壁を登っているのである。
挨拶をする余裕等、無いのである。

 何とか岩壁を下り切り、足元に広がる景色を眺め乍ら
一息ついていると、何処からともなく笛の音が聞えて来た。
 上を見ると、彼も又岩壁を登り切り、岩に材木を立て掛け、
岩場に腰掛け、バンスリと呼ばれる、
ネパールの横笛を吹いている様だ。

 笛の音は、その岩壁や向かいに広がる山々にこだまして、
天から降る様に聞こえてきた。
 勿論、重い荷物を担いでいるとは言え、
挨拶の出来なかった私を気遣って等という事は
まるで無いと思うのだが、それでも私という
たった一人の客に、聞かせてくれていると思うと、
勝手ではあるが、やはり彼の好意として受け取りたかった。
 そしてその音色はヒマラヤの山にこだまして
本当に美しい物だった。
自然の厳しいこの土地では、重い物を担ぐと言う労働は、
あたり前に要求されるのだ。

 材木を担ぐと言う単純労働の合間、名も知らぬ
ヒマラヤの青年が奏でる笛の音に、
文化の高さを感ぜずには、居られなかった。
 唯単に肉体労働の合い間に、
笛を吹いたというだけの事だが、
何やら生活の豊かさと言うか、
尊い物に出会ってしまったという気分である。
 素朴で美しい音色は、
木々や岩肌と供に私の心にも沁み渡った。

 暫くの間その笛の音に聞き入っていたのだが、
その笛の音に見送られる様に、私は山路を下って行った。

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