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 旅の空の下で

7.漁火の一夜   <目次に戻る

 その年私は、急に旅に出たくなり、持っていた電話(当時電話の加
入権は売れた)を売り飛ばし(5万円程で売れた様に思う)その金を
持って翌日旅に出た。

 当時私は埼玉県の吹上という小さな町に住んでいたのだが、その日
家を出た表通りからヒッチハイク(何せ全財産が5万円である)をし
たのだが、12時間後には、青森迄来ていた。

 しかし青森市の外れで降ろされた為、港迄夜中3時間程歩いた。当
時2才の長男と妻君は大変だったと思う。

 それでも何とか明け方のフェリーに間にあい、乗る事が出来た。
函館港では、札幌方面へ向かうトラックに乗せて頂いた。
 そんな事を繰り返し乍ら、稚内迄北上し、利尻山では、暴風の中を
長男を寝袋に入れ頂きを踏んだ、その後日本最北端の島“礼文島”へ
渡っていた。

 礼文島では、乗せて頂いた方が、久種湖のキャンプ場へ案内してく
れた。島で唯一のキャンプ場と記憶するが、気持ちの良い所だった。

 キャンプ場は私達到着後も、大学のサークルの連中やバイクのグル
ープと、人が集まり盛況だった。初日は快晴だったのだが、翌日台風
が来た。

 二晩程、雨と暴風が続いた。一晩中テントのポールを、掴んでいる
状態が続いた。テントの中は、川が流れている状態だった。

 三日目、やっと台風も去りテントを出てみると、私のテントの他は、
チャリンコで日本一周しているという青年のテントだけだった。
最初に騒ぎだしたバイクの連中は、一番最初に居なくなっていた。

 台風一過は、気持ちの良い青空で、一日寝袋やテントを干し、ノン
ビリと過した。


 礼文島は南北に長い島で、その西側は殆んどが、断崖絶壁である。
その為絶壁の下の海は、崖から落下した岩だらけの場所である。
 通称「8時間コース」と呼ばれていて、ここを通過するには、大人
の足でその位かかる結構ハードなコースなのだ。

 私達は、荷物を乾かした翌日このコースを目指した。
 途中、ベンチのある広場があったので、出発前に作っておいた、お
にぎりを食べた。
 誰も居ず静かな良い所だったが、子供がポロポロと落とす米粒を見
ていたのか、カラスが集まり出した。

 北海道のカラスは「ハシブトガラス」ちょっと大きなカラスが、あ
っという間に集まって来た。数百羽のカラスが、私達を取り囲み、ジ
ワリ、ジワリと迫って来る。

 随分と昔の映画だが、ヒッチコックの“鳥”という映画を彷彿させ
る光景だった。私自身も恐かったので、カラスを蹴ちらし、先に進む
事にする。

 50mも登ると、もう“ハイマツ帯”である。本州のものとは、品種
が違うらしいが、この標高で出合うハイマツに感動する。
 美しい海を眼下に見乍ら、ハイマツの稜線を、暫く歩く。

 気持ちの良い散歩コースだったが、途中一気に下る。100m程の断崖
の下は石だらけのコースである。石といっても1m程の物が多く、石
から石へと歩いて行くのである。

 流石に、子供は歩けず彼女が背負ったのだが、「重たい!」と、ク
レームが出て、荷物と交代したりした。
 後日、稚内の港で、荷物の重さを計量したのだが、彼女の荷物は25
kg程あった。彼女は小柄なので、この荷を背負って、石から石へと歩
くのは、相当大変だったと思う。私の荷物も27〜8kgで、あまり変わら
なかった。

 途中、テントが一張だけ、張れる砂利の浜があった。上には番屋が
あり、漁師の方が夏場だけ、舟で来るのだという。
 番屋には年輩の御夫婦がいて、キャンプする事を、お願いしたのだ
が、心良く承知してくれた。(もう夕刻も近いのだが、まだコースの
中程なのだ)

 漁師のおじさんは、私達を見て

 「今迄、自転車を担いで来たのは一人いたが、子供を背負って来た
のは、アンタが初めてだ!」

 と言っていた。

 夜は番屋に招待してくれ、色々と御馳走してくれた。お風呂も沸か
してくれて、最高な時間を過ごさせて頂いた。

 テントへ戻ると、海は一面イカ釣り舟の“漁火”でいっぱいだった。
 後ろは100mの絶壁である。そのせいか、風もなく、穏やかな夜なの
で、テントの入口を全開にして、漁火を眺めつつ眠りについた。

 素敵な夜に感謝!

 翌朝、御夫妻に御礼をいい、出発したのだが“おみやげ”を頂いて
しまった。

 「何もないけど」

と、沢山の昆布と、ウニの塩漬をたっぷり貰った。一番の贅沢である。

 オジサン、オバサンに、唯々“感謝!”

 そんな訳で、当分の間、贅沢な気分で、お酒を頂いた。

 余談であるが、礼文の西はこの断崖の為、何万年もほぼ人が居ない
状態である。その海は、沖縄に一歩もひけを取らないエメラルドグリ
ーンである。
 そして打ち上がる昆布を、唯浜に干すというシンプルな生活も素敵
であるが、この美しい海で取れる“礼文昆布”は、利尻昆布の上を行
くと、勝手に自負している。

                         1982年 秋

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